[ History ]
- 2003年6月
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株式会社 エス・ビルド 設立
現代表の澤口貴一によって株式会社エス・ビルドが設立される。
- 2004年7月
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新大阪に移転
事務所13坪、倉庫1坪の新大阪エクセルビルに移転
- 2004年12月
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初めて女性社員
代表と2人だけの日々が、数か月続きました。
(Q)設立間もないエス・ビルドに入社したきっかけは何ですか?
(N)エス・ビルドは私が転職活動中に求人雑誌で見つけた1社でした。社長との面接で、当時26歳だった社長が話した将来の展望について、面白そうだなと感じ、直感で入社を決めました。
(Q)実際入社してみてどうでしたか?
(N)代表はほとんど外回りをしていたため、事務所では大抵1人で過ごす事が多く、いろんな意味で不安な日々を送っていました。 正直、お給料大丈夫かなと不安になったことも。でも未払い、遅延は1度もありません!
- 2005年5月
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従業員の雇用を積極化
(Q)設立間もないエス・ビルドに入社したきっかけを教えて下さい。
(U)先輩に紹介してもらいこの会社を知りました。今まで自分が経験してきた事を、活かす事ができるのではないか、社長と一緒にこの会社を大きくしていきたい思い、迷うことなく入社しました。
(Q)この当時の印象に残った思い出を聞かせて下さい。
(U)いろんなものがそろっていなかったので、どうやって営業しているのか不思議に思ったのを今でも覚えています。 朝から晩までトラック1台で色んな現場を社長と二人でこなしていた事もいい思い出です。 今では信じられないですけどね(笑) 社長と飲みに行った帰り道、突然社長が『エントランス飽きたから変えよう』と言い出し、突然二人で壊しました。思いついたらすぐ実行!する所は今も昔も変わらないですね(笑)
- 2006年1月
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事務所 13坪から20坪へ拡張。倉庫 1坪から5坪へ拡張。
女性も働きやすい職場にする為に、事務所内を女性仕様に変更 (就業時間内は全面禁煙、トイレにウォシュレットがつきました。)
(Q)事務所拡張で変化はありましたか?
(N)この頃から環境はずいぶんよくなってきました。環境がよくなると仕事に対する姿勢が 前向きになりました。こういうちょっとした変化が、当時の私にとっては劇的な変化でした。 オフィスの環境整備の重要性を感じ、これが私たちの仕事の根幹だということを実感した瞬間でした。
- 2006年6月
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設立3周年パーティー
(Q)初めて社内で企画した設立記念パーティーの思い出を聞かせて下さい。
(U)協力業者様をはじめ、たくさんの方に来て頂き、改めて皆様に支えられて今があると感謝した日でした。 皆様にも楽しんで頂き、また明日から頑張ろうという気持ちになりました。 その後、5周年、10周年と節目で必ず皆様への感謝の気持ちも込めて開催しております。
- 2007年8月
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事業拡大に伴い木川東に移転
従業員を7名から13名に倍増し、事務所を移転。
(Q)従業員倍増になって、どう感じましたか?
(M)いきなり6人も増えると聞いて、正直驚きました。新しい仲間が増えるのは嬉しかったです。
勢いのある会社は、このくらいのスピードで成長していくのだと実感しました。 - 2008年6月
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設立5周年パーティー
- 2009年
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リーマンショック。売上が落ち始めました。
こんなときこそ、澤口的発想で東京に出店しよう! と東京事務所開設の準備を始めました。
(Q)東京進出の話が持ち上がった時、どのように感じましたか?
(S)当時の報道などを見て経験をしたことのない不景気が襲ってくるのだと感じていました。 まだまだ大阪の体制も不安定な中で、東京に行くという決断に初めは戸惑いましたし、 誰が行くんだ?という不安を感じましたが、今となっては一つのターニングポイントだったと思っています。
- 2010年5月
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東京支社 設立
(Q)東京採用における初めてのスタッフの目から、エス・ビルドはどんな会社に映りましたか?
(K)結果を残さないといけない!とスタッフ全員が同じ気持ちで、高層ビル群を自転車のカゴに インパクトドライバーを入れて、がむしゃらに走り回っていた姿が印象的でした。
- 2011年5月
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初の社員研修旅行へ(韓国)
- 2012年1月
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東京支社移転(千代田区)
(Q)リーマンショックの余波も一段落し、拡張移転をしたわけですが、どのような変化がありましたか?
(K)総務兼設計スタッフが、新たな総務の入社によって設計業務に専念し、営業アシスタントを採用してみたりと、事務所の規模だけではなく、組織としても形づいてきました。このころ入社したスタッフが、現在の東京支社の礎となる営業・現場管理のスタッフで、がむしゃらではあったものの、徐々にスマートな仕事運びに変わっていきました。
- 2012年5月
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研修旅行(台湾)
- 2013年6月
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設立10周年パーティー(2拠点合同)
年商10億円突破
(Q)創業10年で年商10億円を超えたわけですが、エス・ビルドにどんな変化があったか教えてください。
(S) それまでは個人商店的な色合いが強い会社でしたが、東阪で実施した10周年パーティーを境に、メンバーの増加も目に見えて増えてきたなと実感しました。そのころから会社が組織らしくなってきて、自身も組織を意識しだしたように思います。
- 2013年11月
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(本社)事業拡大に伴い東天満へ移転
- 2014年1月
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従業員主導の「イイネプロジェクトS」立ち上げ
トップダウンから従業員主導の主体的な活動をするプロジェクトをSTART
(Q)イイネプロジェクトSとはどんなプロジェクトですか?
(N)エス・ビルドの強み・弱みや問題点を洗い出し、それを解決するためには何が必要かを従業員側で考え、やるべきことを決定し、自分たちが働きたいと思う会社づくりをしていくことを目的とするプロジェクトです。
- 2014年5月
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研修旅行(グアム)
- 2014年11月
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東京支社移転(台東区)
- 2015年4月
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新卒採用活動開始
- 2016年1月
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「7つの習慣」活動開始
- 2016年4月
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初の新卒採用者入社
(Q)エス・ビルド初の新卒スタッフということですが、入社を決めたきっかけを教えてください。
(O) 会社説明会で着飾っていないありのままを感じたからです。先輩社員さんと直接お話した際は、エス・ビルドの良いところだけではなく、弱みの部分も話されており、自分とのミスマッチがないかをリアルに検討できたところが入社の決め手でした。
- 2016年5月
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研修旅行(タイ)
- 2017年1月
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本社、北浜へ移転
更なる事業拡大、従業員の増員に伴い移転しました。
内装材拾い出しソフト「建築の電卓」開発開始
- 2018年7月
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設立15周年パーティ in 大阪・東京
- 2019年4月
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「建築の電卓」バージョン2.0をリリース
(Q)内装工事会社がはじめたずいぶん毛色が違う事業ですが、どんなことに苦労されましたか?
(I)『新規商談社数』を確保することに苦労しました。当然ながら、知名度が無い状態でのスタートですので「どうしたら問い合わせが貰えるようになるのか?」を常に考え、試行錯誤の日々でした。テレアポ・DM送付・SNS広告・展示会出展など様々な取組みをしました。
- 2020年5月
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レジンテーブル 開発開始
(Q)レジンテーブルという、日本ではほぼ未知の製品だと思いますが、開発過程でどのようなことに困りましたか?
(T) レジンの扱いは文字通り手探りで、とくに現在の製品のような透明度を出すまでに、かなりの試行錯誤を行いました。
- 2022年4月
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建築の電卓」導入社数300社突破
- 2022年5月
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レジンテーブル「MURUI」製造工場 銘木町ラボ 新設
- 2022年10月
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レジンテーブル専門店「MURUI」南堀江店 オープン
- 2023年6月
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年商30億円突破
(Q)年商30億円を超えて、会社はどのように変化しましたか?
(K) 新型コロナウイルス蔓延の影響や所帯が大きくなると、各部門間のコミュニケーションが取りづらくなったり、今までうまくできていたやり方では対応できない部分も出てきました。 そこでどんな社会情勢や変化にも素早く対応すべく、細かな部分に修正を加えました。
- 2023年8月
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大阪本社拡張 90坪→150坪
- 2023年9月
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レジンテーブル 尼崎工場(260坪)設立
[ イイネプロジェクトS ]
イイネプロジェクトSとは?
それは澤口社長の一言で突然始まりました。
全役職者が本社に招集されて、「今日から自分たちで目標設定をして、自分たちで達成してくれ!」と告げられました。
突然のことで正直「なにを言っているんだ?」と困惑しました。
ちなみに『イイネプロジェクトS』というプロジェクト名もこのメンバーで決めました。
当時は大喜利のノリで決めましたが、今では大変しっくり来ています。
このプロジェクトはエス・ビルドの強み・弱みや問題点を洗い出し、それを解決するためには何が必要かを従業員側で考え、やるべきことを決定し、自分たちが働きたいと思う会社づくりをしていくことを目的とするプロジェクトです。
稼働して浮彫になった問題点。
20~30人規模の所帯の頃は、若手の意見を聞き、みんなで考えるという構図がしっくりきていました。
発足から数年が経ち、SWOT分析するも毎年同じ課題、
プロジェクト内で考え出された目標もスローガン的なものになっていきました。
また多忙な通常業務とのバランスなどにより存続の意味を問うようになりました。
2023年従業員100名となり、3事業を手掛けているエス・ビルドにとっては、各事業部門の課題や問題点、働き方や勤務体系も異なるため、共有しても共感は得られないという意見があり、方向性を大きく変えることになりました。